人生最後においしい熱燗を飲みたい!!
~その思いを支える関わり~

あおもり協立病院(青森市)・6階病棟 戸松真裕美

 Aさんとの出会い

私が勤務するあおもり協立病院6階病棟は、消化器内科・婦人科病棟で、手術を受ける方、緩和ケアの方、家族関係が複雑な方、退院調整が困難な方など多岐に渡る患者さんが多く入院しているのが特徴です。H24年6月、Aさん(60代 男性)との出会いがありました。Aさんはかかりつけ医がなく、H24年1月頃からの腹部膨満を主訴に6月近医を受診し、腹水貯留の精査目的で当院に紹介入院となりました。検査の結果、非代償期肝硬変、多発性肝臓癌による腹水貯留の診断で、肝動脈塞栓術は困難な状況にあったため、腹水穿刺や利尿剤による治療が開始されました。同年7月、東京の姉と本人へ告知し、「なるようにしかならない、原因は酒だってわかっているよ。」と受け止めている様子でした。Aさんは生活保護を受け、一人暮らしをしていました。ADLは自立しており、体が大きく穏やかな性格で、自分のことは多く語りませんが時々笑顔で冗談を言い、看護師を笑わせてくれる方でした。その後外来で治療を継続し、同年10月より肝動脈塞栓術、経皮的エタノール注入療法、ラジオ波焼灼療法目的で入退院を繰り返しました(計7回)。治療が終わると早期の退院を希望し、自宅で過ごしていました。真面目で几帳面な性格から、告知後は飲酒をせず、食べ物にも気を使っていたようです。

最後の入院

H27年10月、倦怠感、腹部膨満増強、タール便、ADL低下を認め緊急入院となりました。腎不全、肝臓癌破裂による腹腔内出血を起こしており、本人と相談し緩和ケア方針となりました。入退院を繰り返していましたがADLはこの時まで自立していて、自分のことは全部自分でやりたいという性格と、あまり自分のことは話さない方であったため、今までどういう仕事をして、どういう生活を送っていたか、家族との関係はどうなのかという話をしたことがありませんでした。両親は他界していて、兄、姉2人、妹はいましたが、姉1人とは電話で話すくらいで関係性は疎遠でした。離婚した妻、4人の子供がいましたが、離婚後は連絡をとっていない状況で、入院時には近所に住む友人が、一緒に来院されました。お酒が好きな方で、告知前までは毎日日本酒を4合飲み、友人たちとよく飲み会を開いていた方だということが最後の入院でわかりました。MSWが介入し、家族や市役所との調整を始めましたが、本人は離婚した妻や子供には連絡したくない、頼りたくないといった状況で、姉に医師から電話で病状説明し、死亡時は姉が対応することとなりました。自分のことは自分でやりたい、トイレは絶対迷惑かけたくないという思いが強く、動ける限り車椅子でトイレや洗濯をしに行っていました。本人にやりたいことはないかと尋ねると、「世話になった友達にお金を返したい、あとはアパートに帰って熱燗を飲みたい、それだけだ」という返答でした。

思いを支えるために

何とかAさんの希望に沿うことができないだろうかとチームカンファレンスを開き、みんなで考え、主治医から病室で飲酒の許可がおりました。Aさんにそのことを伝えると、「今までは先生に言われた通り、治療のために酒も飲まなかったし食事も制限してきた。何をやってもいいと言われると、もう治らないし、もう死ぬってことだな。わかっていてもそう考えると切ないし怖い。でも一人で何も考えずに死にたい。」と遠い目をしていました。今まで治療のために生活に気を使ってきたAさんの思いを考えると何も言うことができませんでした。その日から、我慢してきたお酒を飲んでもいいということはもう自分は治らないのだろうか、このまま死ぬのだろうか、でも好きなことをやって死にたいと様々な思いが募り葛藤している様子で、飲酒の希望はありませんでした。

それから2日後の夕食配膳時、「晩酌してみるかな」と笑顔がみられました。家族が近くにいないため、好きな銘柄のお酒やお気に入りのつまみなど本人の希望を聞き、看護師が買い物に行きました。景色をみながら飲みたいと希望され、個室であったため、窓際にベッドを移動させ環境を整えました。ワインの時は生ハムとチーズをつまみに、日本酒の時は鱈の乾物をつまみにし、ベッドの上にあぐらをかき、約3年ぶりのお酒をゆっくりと楽しんでいるようでした。「久しぶりに飲む酒はうまいな」と言った時の顔が忘れられません。なるべく一人にしないようにとベッド脇に置いてある車椅子に看護師が座ると、「小樽ワインは最高なんだ。喜久泉が飲みたいけどなかなか手に入らないんだよな。鱈はいっつも買ってるやつあるんだ。あんまりしょっぱくなくてうまいんだよ。」と家族のことを話すことはありませんでしたが、他愛のない会話をしました。コップ2杯ほど飲むと、「あんたたち忙しいべ?あとは一人でゆっくり飲むからいいよ。」と、自分が辛い状況でありながら最後まで私たちに配慮してくれました。なかなか手に入らない日本酒やつまみの希望があり、「あそこの酒屋、種類多いんじゃない?あっちのスーパー行ってみる?」とみんなで色々な酒屋やスーパーを探し歩いたりしました。

6日目の夜、「いろんな看護師が『足りない酒ないか?』とか『熱燗作るか?』とか気にしてくれる。みんな忙しいのに良くしてもらってありがたい。ゆっくり外をみながら飲んでたら死ぬの怖くなくなったじゃ。」とすっきりとした笑顔をみせてくれました。そして7日目の朝、穏やかな表情で静かに息を引き取りました。迎えに来た姉が、「電話でお酒を飲ませてもらってると本人から聞いていました。最後に飲ませてもらってありがとうございました。」とおっしゃっていました。

Aさんとの関わりを振り返って

Aんの死から2か月後、病棟でデスカンファを開きました。チーム、病棟全員が患者さんをより自宅に近い環境にしたいと考え、関わり、希望を叶えられたことが何より良かったのではないかという意見や、仲の良かった友人に最後連絡をしておらず、疎遠の家族だけでなく連絡すべきだったのではと悔やまれるという意見がでました。Aさんとの関わりで、私たちにできることは何かあるのだろうかと悩んだこともありました。仲間と共に悩み、考え、働きかけたことでAさんが最後までAさんらしく生きるというお手伝いが少しでもできたのではないかと思います。どんなに困難であってもその先に患者さんの笑顔が待っていると信じ、患者さんから学ばせてもらっていることを忘れず、看護師として、人間として成長していけるよう努力しなければならないと、Aさんが教えてくれたように思います。

患者さんの思いに添って協力しあえる仲間がいる職場で、そのみんなと一緒に看護師として仕事ができていることを誇りに思います。そしてAさんが天国で、お気に入り鱈の乾物をつまみに、大好きな喜久泉を飲みながら笑っていてくれることを願います。

※写真は看護実習風景から。本文とは直接、関係ありません。

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