Archive for the ‘医療・介護・共同組織’ Category

連載 看護と介護 15の物語 ⑩

2017-04-19

ターミナル期にある患者の想いに寄り添って

~一人のフォークシンガーからの事例~

藤代健生病院(弘前市) 2病棟 看護スタッフ一同

Aさんの入院まで

ある秋の日に、一人のフォークシンガーが星空へと静かに旅だった…

遡ること5か月程前、混雑した外来に身の丈185cmもある一人の患者がやってくる。長い髪と黒い革ジャン、ジーンズに黒いブーツという出で立ち。名前を呼ばれて診察室に入り、病状をぽつりぽつりと主治医に話す…

病院の名物フォークシンガー    

Aさんは、精神科病棟である当院に30年来通院している50代の男性です。夕陽の綺麗な海沿いの街で3人兄弟の長男として生まれました。成績優秀で進学校に入学し大学進学を果たしました。大学時代、統合失調症を発症し、やむなく中退。その時、後の「家族」とも言える当院と出会います。

若くして統合失調症を発症したAさんは、最初、家族のいる自宅から通院していましたが、遠方のため通うのが難しく、市内のアパートへ移りました。独りでの生活に不安になると入院し、落ち着くとアパートに退院するといったことが30回以上も続きました。アパートへ訪問に行くと部屋にいる事が少なく、近くの喫茶店に行き、ケーキとコーヒー一つで数時間もBGMに浸る方でした。「おそらくは人恋しさに喫茶店に行っていたのではないか?」と当時の事を知るスタッフは話しています。不安感を主訴とした度重なる入院も、もしかしたら人恋しさあってのことだったのかも知れません。そんなAさんの一番の趣味はアコーステイックギターを弾くことでした。吉田拓郎の大ファンであるAさんのアパートには若い頃から集めたというギターや楽譜がありました。その為、訪問した際はAさんの弾く一曲を聴いてから出迎えてくれるというエピソードがあるほど、ギター好きだったようです。

入院生活中は他の患者さんやスタッフに壁を作らず、大柄な体系から時折見せるほっこりした表情が、例え妄想の世界に浸っていても、何故か憎めない方でした。オープンスペースで革ジャンをはおり、ギターを弾き歌う姿が印象的で、昼夜を問わずバラードから時にはハードな曲まで演奏していたものの、不思議と他の患者さんからの苦情は少なく、聴衆に囲まれていることもあったAさん。寡黙で取っ付き難い風貌の内側に垣間見える優しさが人を惹きつけていたのかも知れません。そんなAさんに、大好きなギターを弾けなくなる病魔が襲ってきます。

忍び寄る病魔・・・

お腹に違和感を感じ外来受診時に主治医に何気なく相談。外科受診を勧められて精密検査をした結果・・・告げられた病名は『縦隔腫瘍』、しかも末期でした。手術適応でしたがAさんは疾病否認が強く、頑なに外科受診を拒否。緩和ケアを目的として、通い慣れた当院に愛用のギターを持って入院することになりました。のんびりベッド上で過ごし、好きなタバコを吸い、顔見知りの患者さんとのたわいもない会話。たまに支援センターの方と喫茶店へ行ったり買い物したり・・・穏やかな日々を過ごされていました。

しかし病状は徐々に悪化していきます。食欲が落ちて明らかに痩せが目立ち、日中でもベッドに横になる時間が長くなっていきました。

食が取れなくなったAさんへの病棟での取り組み

Aさんらしい終末期をどのように支えていくべきか、毎日のように議論を重ねました。

医療チームとして、看護師として今自分に何ができるのだろう・・・。

全身の疼痛があるにもかかわらず、ポータブルトイレの使用ではなく、トイレまでの付き添いを希望し、スタッフと手を繋いでトイレにいくことが度々ありました。多くを語らず介助もあまり求めないAさんでしたが、繋いだその手から苦しさや不安が伝わってきました。

病院食に手をつけなくなり、今何が食べたいか尋ねられたAさんは低い声で「親子丼食べたい」と答えました。売店には置いてないし、家で作って来るわけにもいかない。外出して食べに行ける状態でもない・・・苦肉の策だが病院の食堂に頼んで、病室まで運んで来ることはできないのだろうか? 相談を受けた食堂スタッフの対応は早く、病室に運ばれた親子丼をみたAさんはゆっくりと起き上がり食べ始めました。その後、ラーメン・カレー・野菜炒め等々、腫瘍による腹部の圧迫もあり食べられる量はほんの少しでしたが、食堂スタッフの協力を得て、嬉しそうに食べるAさんの顔を見られるようになりました。

楽しい音楽の時間

朝の会でミニコンサートを開きたいとAさんと計画しましたが、体を動かすことが苦痛となり実現はできず。かわりに病室で「ギターが重い」と言いながらも弾いていました。ある日のスタッフは一緒にギターセッションをしたり、吹奏楽経験をもつスタッフは、Aさんと音楽の話に花を咲かせたり、楽譜を一緒に眺めたりするなど、少しでも苦痛の軽減に繋がるようにケアしていきました。起き上がることもできなくなったAさんに吉田拓郎の歌を歌って聴かせたスタッフもいて、音楽の話題になるとAさんは自然と笑顔になり、口数は少ないものの自身の思いを語ってくれるのでした。

会いたい人は?

だれか会いたい人はいないか尋ねると、Aさんの口からこぼれたのは弟の名前でした。入院中、家族の名前をあまり言わずにきたAさんでしたが、自身の死期を悟ってか、この時は言いました。Aさんの希望を叶えたいと家族に連絡をとると、Aさんの弟が車で2時間かけて面会にきてくれるようになりました。数年ぶりに会った弟と写真をとり、家族の時間を作ることができたようです。

「高齢となった母にも会いたいのではないか、また何十年と帰っていない実家も見たいのではないか」という声もあがり、Aさんへ何度か問いかけましたが、「いや、いい。」という返事しか返ってきませんでした。おそらくは遠方で足の悪い母を気遣っていたのだと思います。

旅立ちに歌を

病状の悪化とともに全身の疼痛が現れます。スタッフへ、「そこに座っていて欲しい」「手を握って欲しい」とナースコールを握りしめて訴えます。元気だった頃なら絶対に言わないだろう言葉でした。出前の食事さえも手をつけなくなっていったその夜、Aさんの意識は薄れていきました。DNRに同意していたAさんには救命処置はせず、ただスタッフは意識混濁したAさんの手を握り、寄り添い、吉田拓郎の歌を歌いました。その後、間もなく最期の時を迎えました。お迎えの車が来るまでのわずかな時間。デイルームでギターを弾いていたAさんの姿が目に浮かびます。苦しい闘病生活を耐え抜いたAさんへの想いが溢れた夜勤の看護師は、おもむろにAさん愛用のギターを手にとります。弾き始めた曲は吉田拓郎の『全部抱きしめて』。

私たちスタッフはこの「死」をきっかけに身体・精神的苦痛の緩和、家族愛について改めて考えましたが、何よりも「ただ傍にいる看護」の意味を感じることが出来ました。

若い頃からギターと共に人生を送り、歌手を夢見た事もあったかもしれません。あまり表には出さない方でしたが、孤独や統合失調症に伴う症状に苦しむことも多かったといいます。自分の意志で手術しないと決め、もしかしたら後悔していたのかも知れません。

私たちは穏やかな表情で逝ったAさんに今でも想いを巡らせます。

連載 看護と介護 15の物語 ⑨

2017-04-14

ショートステイでの看取り

ショートステイやすかた(青森市) 職員一同

青森駅の近くにある「ショートステイやすかた」は6階建のビルの中にあります。4階・5階・6階のフローアーに分かれて、34床あります。1階には「安方クリニック」があり、併設型の短期入所生活介護です。

私たちは、「人間らしく、その人らしく生きていくこと」を援助しています。その取り組みの1つである「看取り」について報告します。

初めてのショート利用

A様は、平成28年X月に当ショートステイを初回利用された。デイサービス、ショートステイを利用しながら、在宅で生活されていました。当初は二泊三日の利用を月1回程度の利用でしたが、認知症の進行による為なのか、夜間に車庫の階段を昇る、外に出たりなどと、家族の介護負担が大きくなりました。初回利用から1年くらい利用されてからの事でした。その為か、ショートを月の半分くらい利用されるようになりました。

その当時のA様のADL状況は、移動は車イスを利用されていたものの、一部介助で歩行可能であり、食事は自力で食べられていました。排泄も失敗は多いものの、介助にてトイレでも排泄されていました。ただ、認知症および失語あり、意思疎通はなかなか難しい様子でした。ただ温厚な人柄で怒る事もほとんどありませんでした。A様は、ちょっとスタッフが目を離したスキに衣服を脱いで、裸になってしまう事もありました。

家族の希望

平成28年6月頃より、認知症の進行の為か自力で食事が食べられなくなり、介助しなければ食べられないような様子でした。介助しても傾眠されており、うまく食事を食べられず、7月頃には1日の大半を眠って過ごされるような状況となりました。

「自宅での介護が困難である。」と家族から言われ、家族と医師と面談した結果、家族の希望により「ショートでの看取り」を行う事となりました。

雲のごとく

ある日の7月。雲。早くおそく、大きく小さく、白く淡く、高く低く、ひと時も同じ姿を保ってはいない。
崩れるが如く崩れざるが如く、一瞬一瞬その形を変えて、青い夏の空の中ほどを、さまざまに流れてゆく。
これはまさに、人の心、人のさだめに似ていると思う。人の心は日に日に変わっていきます。そして、人の境遇もまた、昨日と今日は同じではない。明暗さまざまに織りなして、刻々に移りゆく人の世のさだめに、人は喜びもし、嘆きもします。人の世は雲の流れの如く刻々に移りかわります。(道をひらく 松下 幸之助より抜粋)

ショートステイでの看取り

ショートステイでの看取りは、自宅へ戻る事のできないショートステイ利用者様・ご家族がショートステイでの看取りを希望された方です。

【目的】

  • 生活の場として自然な死を迎える事
  • その人らしく最期まで、穏やかに暮らせる生活支援
  • 利用者・ご家族が安心してその時を迎えられる

以上を目的に取り組んでいます。

そして以下の事が最も重要な事だと思います。

  • 家族との信頼関係が最も重要
  • 職場環境の整備 → 家族が望む事に応える
  • 他職等の連携  → ケアマネ・医師・医事課

職場のスタッフに「看取り」の学習会を行いました。

はじめて体験するスタッフもいます。戸惑いを隠せないスタッフも中にはいました。

旅立ちが近づく頃

医師から今の現状を家族へ報告してもらい、家族は「ショートステイで静かに・・・」お願いしたいとの事。
医師の説明後に、家族から「看取りの同意書」にサインをいただきました。
面会時に責任者から、「看取りのパンフレット」(家でもだいじょうぶ~あなたが願うなら~)を使用して、旅立ちまでの体の変化、症状などについて説明も行いました。
A様は看取りの方向が決まった頃には、まったく食事がとれなくなり、内服も中止しました。家族の希望で1日1回の点滴を行いました。
家族は毎日、面会に来て眠っているお父さんに思い出をいっぱい話していました。
私達は、家族に今日の状態を話し、旅立ちが近づいて来ている事を看取りパンフレットを見ながら説明しました。
日が経つに連れ、血圧の低下や呼吸数の減少があり、ほぼ一日中眠っているような様子でした。

旅立ちの日

ご家族が午前中面会あり、「じぃ~ちゃん、起きて」「じぃ~ちゃん、お疲れさま」と手を握っていました。
その日の夕方眠るように、息をひきとりました。とっても穏やかな、お顔でした。ご家族は「お疲れ様でした」と話し、ゆっくりお別れをしていました。

最後に

雲のごとく、人の心は日に日に変わり、人の世は雲の流れの如く刻々に移りかわるので、利用者・ご家族のニーズに耳を傾け、できる限りの事を悔いのないように努めていきたいと思います。また、利用者・ご家族が最期まで望むなら、私たちは全力でそのお手伝いをさせて頂きます。
今後も、一事例を振り返りながら、社会的背景、利用者・ご家族・地域のニーズ等考慮し、時代に求められる、より質の高い看取り介護を提供していきたいと思っています。

連載 看護と介護 15の物語 ⑧

2017-03-30

有料老人ホームでの看取り ~その人らしさに寄り添って~

健生弘前ホームあじさい 小野 富士子

Sさんとの出会い

3年前、市内の療養型病院の病室でSさんに出会いました。入居申し込みされていたため、ケアマネージャーと一緒に伺った面会の場でした。少し薄暗い4人部屋で、入ってすぐ右のベッドで横になっておられました。痩せこけた真っ青な顔色で険しい表情をしており、話しかけても返事をしてくれませんでした。病室内にあるトイレからは悪臭が漂っており、ベッド脇にはマットコールのマットが敷かれていました。床頭台にはコップと歯ブラシ、それと毎日12、13回ほどの排泄チェックがされている「排泄チェック表」が上がっていました。備えているテレビは、見ている形跡はなくベッド上でほぼ寝たきりの毎日だったようで、寂しい入院生活の状況がうかがえました。

入居までの経過

Sさんは、国家公務員として奥さんと県内を転々としていましたが、定年後に長男宅に引っ越しをして同居を始めました。元々病院嫌いでしたが、ある年の5月頃から傾眠傾向が続き、食欲不振と下血がみられたためにやっと開業医の往診を受けました。検査の結果からN病院を紹介されて、「直腸癌」と診断されました。下血からくる強度の貧血に対し輸血を実施され、「余命1か月、次に大きな出血があればどうなるか分からない」と主治医から説明されたそうです。しかし、癌による痛みの訴えや内服薬もなく、輸血後に病状も落ち着きました。

入院中は、認知症状があるため他患者のベッドに横になっていたり、コミュニケーションも困難のようでした。また暴力はないものの怒りっぽく、威嚇する事もあり声掛けに配慮が必要という情報がありました。約5か月間の入院で、病院側から治療は終了しているため退院先を探すように言われて、長男と奥さんから入居申し込みがされました。

入居後の経過

1階に入居していただき、初回の内科往診では、妻と長男夫婦が同席の中で医師の質問にもキビキビと返答していて、会話も弾んでいました。家族からは、蘇生術を行わない確認書の同意がありました。訪問看護ステーションより、出血量が増えたり意識状態が悪化した時は連絡をするという事を確認しました。下血についてはあまり口にすることはなかったのですが、常に汚染されている肛門部周囲の皮膚や肛門の疼痛の訴えがあり、指示の外用薬の塗布を行っていました。ご家族には、椅子に敷くクッションの準備をしていただきました。昼夜問わず施設内を歩き回ったり、時には他の居室のトイレやソファーに座っていたりと、入居者様を驚かせる事もありました。使用した便器は、血の塊や血液で真っ赤になっていることも多く、生臭さが残っていました。身体的な変化に対しては、訪問看護師に報告をして指示を受けたり、訪問時に対応してもらったりして連携を図っていました。徘徊の理由としては、妻をさがしたり、帰宅願望、食べ物さがしがほとんどでした。夜間、音もなく職員通路から事務室に来られて、椅子に座っていることもありました。常に「腹減った。腹減った。何か食うものないか。」と食事を食べた後も廊下や、他の居室を訪問したりと歩き回っていました。給食課には、直腸癌による通過障害のためにミキサー食を依頼していました。そこで妻に協力していただき、実の入っていないゼリーやチョコレート、タマゴボーロの購入をお願いしました。食べた後は満足されて少し落ち着き、穏やかな表情をされていました。

また、入浴が大変でした。「入院中は2週間に1回がやっとでした」という申し送りがありました。入居後は、ヘルパーからの勧めを断り続けていましたが、9日目に初シャワー、その3週間後に特殊浴に入っていただきました。その後は、ほぼ定期的に入浴ができて清潔の保持に努めることができました。無理な誘いはせず、ホームに徐々に慣れていただきながら上手に誘導することができた介護の関わりは素晴らしいと思いました。

2週間毎の内科往診では、ホームでの生活状況、食事摂取量、下血等の身体的な状況を報告して医師から指示を受けていました。緊急時の相談窓口や、訪問看護師の処置の指示など、職員は安心してケアができました。

家族との交流

妻は、自分の買い物後にタクシーでほぼ毎日通ってきてくれました。買った物は、本人に見られると食べたがるのでと事務室に預かり、居室で2人で過ごしていました。妻からは、「私を見ると怒るんだ。今までも言葉はキツイけど、根はやさしい人なんだ。」と話され、居室に入ったり廊下に出たり、様子を見ながら夫婦の時間を過ごしていました。

ある時、食堂で時折話しをしながら2時間ほど過ごされました。妻が帰ったあと、さっき話をしていた人は誰なのか問うと「家族だべな。」という返答がありました。言葉ではキツイ事を発しているのですが、やはり長い人生寄り添い共に歩んできた伴侶は宝物なのだと思いました。また、妻は職員との会話も楽しまれ、ホームあじさいの行事にも積極的に参加してくれました。クリスマス会では、だんな様という歌を披露してくださり、心を込めて歌った、私の大事なだんな様 という歌詞がとても印象深かったです。

長男夫婦も定期的に面会に来られて、日常生活の状況を話しやすい雰囲気でした。家族と職員の交流は、ケアマネージャーとも協力しながらうまく保たれていたと思います。

入居後3か月経過した頃、長男より「特養に入居させたいので申し込んできた」と報告を受けました。申し込みから4か月後に特養から入所の確認がありましたが、「あじさいで最期を迎えたい」という家族の意向で取り下げられました。

ホームでの生活に対する安心感と職員への信頼ができてきた事が、大きな要因だと思います。

看取りまで

クリスマスも過ぎた頃、ベッド上で寝たきりの状態になり、主治医とご家族と最期の看取り方について確認されました。意識がはっきりしない中、空腹の訴えのみだったのが「かねー、あどいいー」と食事を拒否する発語がありました。翌日から努力様呼吸、肩呼吸となり、2日後の元旦の明け方に妻に看取られ静かに息を引き取りました。余命1か月と告知されてから1年8か月が経っていました。

84年間のご本人の生き方を家族の会話から汲み取り、可能な限り応えていこうという職員の想いが、妻との共有時間を見守り、徘徊行動を遮らず食に対する希望を受け止めるなどの対応に繋がったと思います。

ご家族との再会

あじさいを退去されてから約2年経過し、ちょうど体験談をまとめていた頃偶然スーパーで買い物中の長男夫婦にお会いしました。長男夫婦は入居中の事を懐かしんで、とても感謝され「良い最期でした。お世話になりました。今度は母親が認知っぽくなってきてお世話になるかもしれません。その時は、またよろしくお願いします。」と笑いながら話されていました。

最後に

当ホームは、介護サービスを利用しながら居室で生活を継続することができる住宅型有料老人ホームです。

入居者様が自分らしく生きていくことができるように、職員一同これからも寄り添える介護を実践したいと思います。

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