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連載 看護と介護 15の物語 ⑦

2017-03-22

在宅看取りを援助し、ご家族と一緒に学び得たもの

健生訪問看護ステーションたまち(弘前市) 看護師 木村 美香

在宅生活までの経過

Aさんは87歳男性。平成27年4月に食道癌の診断をうけ放射線治療を行っていた。一時は癌が縮小されるが半年後、経口摂取が困難となり癌の再発が発見される。同年冬、S状結腸憩室穿孔による腹膜炎を併発しストーマと腸瘻を造設する。その段階で予後は半年と宣告される。術後、リハビリ加療を続け、短距離であれば見守り独歩可能となるまで回復した。Aさんの強い希望にて平成28年3月に自宅に退院となった。退院後は往診を受け訪問看護とデイサービスを利用することとなった。担当セラピストからはAさんは疲労感が強いのでデイサービスは無理ではないか?という意見もあったがAさんは重度の認知症の妻と60歳の娘さんの3人暮らしであり、娘さん以外は2人を介護するのはいない状況であった。私は在宅介護の継続には娘さんの休息時間を確保することが一番大事だと考え、デイサービスの利用を勧めた。往診医の後押しもあり入浴以外は無理せず過ごすメニューで週1回利用することになった。娘さんも「そうしてもらえるとうれしいです」と笑顔で答え利用することとなった。

調整会議での娘さんの表情から不安と緊張が私にもひしひしと伝わってきていた。「最期を家で看るのは無理です。そのときは病院に入院させてください。」と、はっきり何度か訴えていた。「何かあったら一番にたまちに電話してくださいね。どんなささいなことでもかまいませんからね。24時間いつでも大丈夫ですからね。」私は娘さんの不安と緊張が解消されるように優しく語りかけた。そして5日後、Aさんの在宅生活がスタートした。

家族と共に過ごした時間

入院中はほとんど発語がなく表情も固い印象であったAさんも家での表情は穏やかで私たちにたくさんお話しをしてくださり、その変化にはじめは少し驚いた。娘さんは「家に帰ってきたら嬉しそうにしていますよ。いつもの父に戻った感じです。」そして娘さんは毎日トイレへの付き添い介助、経腸栄養の管理を続けていた。速度が速く落ちてしまって下痢をしたり、遅すぎて滴下が止まっていたりといった感じだった。その間、認知症の母のお世話もしていた。娘さんに「大丈夫?疲れていない?無理しなくていいんですよ。」と訪問のたびに声を掛けた。「たまちさんが来てくれるから安心しているの。だから大丈夫ですよ。私も父も訪問に来てくれる日がとても待ち遠しいのよ。」と笑顔を見せた。その会話を聞きながらAさんもうなずき微笑んでいた。

娘さんの決断

在宅での生活も5ヵ月を過ぎた8月上旬、胸部から腹部の疼痛、そして全身の倦怠感を訴えるようになり投薬治療をしていた。その間、娘さんはほとんど休息できず疲労もピークになっていた。Aさんは症状が改善されず疼痛コントロール目的にて再入院となった。9月上旬再び自宅へ退院された。しかしAさんは以前のような元気はなく、数日後からさらに状態は悪化した。体動のたびに疼痛があり、強い痛み止めが処方された。そのため傾眠がちでいることが多くなったが、うわ言のように「痛い、痛い」と娘さんの名前を呼び患部をさするとまた静かに眠り始めた。「こうすればいいんですね。やってみます。」と娘さんもAさんの体をさすっていた。しかし再び状態が悪化し、痛み止めの量もだいぶ増量となった。確実に最期の時は近づいていた。いよいよとなった時に往診は翌日でないと体制がとれない状況で、悩んだ娘さんは入院を希望した。しかしベットの依頼をしたが空床がなく当日の入院は困難で、外来のベットで待機してもらう選択しかなかった。外来のベットでは認知症の妻も同伴しなければいけなかった。私は訪問時間を延長し娘さんに状況を伝えた。娘さんはこの数ヶ月で見違えるくらいたくましくなっていた。そして説明にも冷静な態度であった。私は説明しながら、今までこんなに頑張って介護してきた娘さんなんだから、何かあってもこのまま家で看とれると判断をした。今後起こりうる呼吸や意識の変化など看取りについて理解できるように繰り返し説明をし支援した。「明日は先生も往診してくれるし、このまま家で頑張ってみませんか?何かあったらいつものようにたまちに電話してください。もしかすると見たときに息をしていないかもしれません。そんなときも慌てずにたまちですよ。」と話した。するとすぐに「外来にいるよりだったら家にいます。母も連れて行かなきゃならいので母もかわいそうですから。たまちさんがいるから安心です。」と娘さんは決断をくだした。そうしてこのまま自宅で経過を見守ることとなった。

最期のとき

翌朝たまちの電話が鳴った。Aさんの娘さんからだった。「息をしていないようです。脈もわからないんです。私がわからないだけかもしれないです。どうしたらいいんでしょう?」私は「今すぐ訪問しますから待っていてください。」と伝え訪問した。私は部屋に入り、ベットの横に立ちすくみ泣いている娘さんの背中をさすった。妻は状況が分からない様子で私を笑顔で迎え入れていた。いつも訪問すると妻は笑顔で大笑いしたり歌を歌ったりと場を和ませてくれる人であったが今日はその笑顔がなんだか悲しくもあり優しい時間が流れた気がした。

「日中はあんなに痛みを訴えていたのに昨夜から痛がらず静かに眠っていました。最期は苦しまず亡くなった感じです。」「そうですね。苦しまないでよかったです。今にも起きそうな眠っているような穏やかなお顔ですね。Aさんの希望通り家で最期を迎えられて本当に幸せだと思います。」

「私もそう思います。ありがとう。」Aさんは最期は苦しむことなく穏やかな表情で家族に看取られご自宅で永眠された。

娘さんからのメッセージ

3週間後、娘さんが私たちの事務所を訪れてくれた。少しやせた印象だったが、表情は明るく会話の中から自宅で介護し看取った達成感が感じられた。帰り際に1通のお手紙をいただいた。

手紙には、「父の生前中は皆さま方が自宅に来てくださるたびに、優しく明るい笑顔、温かいお言葉、丁寧な看護に父ばかりでなく私までもどれだけ救われたことか分かりません。おかげ様で父は本人の希望通り自宅で安らかに息を引き取ることができました。深夜でもお電話するとすぐに的確な指示を出してくださり、時にはすぐに駆け付けて様子を看ていただいたことは、いつまでも忘れません。これからも多くの患者さん、そしてご家族の支えになって下さいませ。最後になりましたが心から感謝申しあげます。ありがとうございました。」と便箋2枚にしたためられていた。

訪問看護で看取るということ

Aさんの衰弱が進むにつれ、娘さんの外出も間々ならず、夜間も眠れない日々が続く中で、肉体的、精神的にも負担は多々あったと思う。私たち訪問看護師が関わるのは24時間のうちほんの一部でしかない。

長い時間を共に過ごすご家族の介護が負担少なく、よりよいものになるために、不安に耳を傾け一緒に考えること、時には共感するだけでも、ご家族の精神的な支えになるのだと実感した。

ご家族が安心して介護ができるように関わっていくこと、寄り添うことが訪問看護師の役割であり、今後も主治医をはじめ在宅に関わる多職種と連携し患者さん、ご家族を支えていきたいと強く感じさせられた。

※写真は看護実習風景から。本文とは直接、関係ありません。

連載 看護と介護 15の物語 ⑥

2017-03-17

人生最後においしい熱燗を飲みたい!!
~その思いを支える関わり~

あおもり協立病院(青森市)・6階病棟 戸松真裕美

 Aさんとの出会い

私が勤務するあおもり協立病院6階病棟は、消化器内科・婦人科病棟で、手術を受ける方、緩和ケアの方、家族関係が複雑な方、退院調整が困難な方など多岐に渡る患者さんが多く入院しているのが特徴です。H24年6月、Aさん(60代 男性)との出会いがありました。Aさんはかかりつけ医がなく、H24年1月頃からの腹部膨満を主訴に6月近医を受診し、腹水貯留の精査目的で当院に紹介入院となりました。検査の結果、非代償期肝硬変、多発性肝臓癌による腹水貯留の診断で、肝動脈塞栓術は困難な状況にあったため、腹水穿刺や利尿剤による治療が開始されました。同年7月、東京の姉と本人へ告知し、「なるようにしかならない、原因は酒だってわかっているよ。」と受け止めている様子でした。Aさんは生活保護を受け、一人暮らしをしていました。ADLは自立しており、体が大きく穏やかな性格で、自分のことは多く語りませんが時々笑顔で冗談を言い、看護師を笑わせてくれる方でした。その後外来で治療を継続し、同年10月より肝動脈塞栓術、経皮的エタノール注入療法、ラジオ波焼灼療法目的で入退院を繰り返しました(計7回)。治療が終わると早期の退院を希望し、自宅で過ごしていました。真面目で几帳面な性格から、告知後は飲酒をせず、食べ物にも気を使っていたようです。

最後の入院

H27年10月、倦怠感、腹部膨満増強、タール便、ADL低下を認め緊急入院となりました。腎不全、肝臓癌破裂による腹腔内出血を起こしており、本人と相談し緩和ケア方針となりました。入退院を繰り返していましたがADLはこの時まで自立していて、自分のことは全部自分でやりたいという性格と、あまり自分のことは話さない方であったため、今までどういう仕事をして、どういう生活を送っていたか、家族との関係はどうなのかという話をしたことがありませんでした。両親は他界していて、兄、姉2人、妹はいましたが、姉1人とは電話で話すくらいで関係性は疎遠でした。離婚した妻、4人の子供がいましたが、離婚後は連絡をとっていない状況で、入院時には近所に住む友人が、一緒に来院されました。お酒が好きな方で、告知前までは毎日日本酒を4合飲み、友人たちとよく飲み会を開いていた方だということが最後の入院でわかりました。MSWが介入し、家族や市役所との調整を始めましたが、本人は離婚した妻や子供には連絡したくない、頼りたくないといった状況で、姉に医師から電話で病状説明し、死亡時は姉が対応することとなりました。自分のことは自分でやりたい、トイレは絶対迷惑かけたくないという思いが強く、動ける限り車椅子でトイレや洗濯をしに行っていました。本人にやりたいことはないかと尋ねると、「世話になった友達にお金を返したい、あとはアパートに帰って熱燗を飲みたい、それだけだ」という返答でした。

思いを支えるために

何とかAさんの希望に沿うことができないだろうかとチームカンファレンスを開き、みんなで考え、主治医から病室で飲酒の許可がおりました。Aさんにそのことを伝えると、「今までは先生に言われた通り、治療のために酒も飲まなかったし食事も制限してきた。何をやってもいいと言われると、もう治らないし、もう死ぬってことだな。わかっていてもそう考えると切ないし怖い。でも一人で何も考えずに死にたい。」と遠い目をしていました。今まで治療のために生活に気を使ってきたAさんの思いを考えると何も言うことができませんでした。その日から、我慢してきたお酒を飲んでもいいということはもう自分は治らないのだろうか、このまま死ぬのだろうか、でも好きなことをやって死にたいと様々な思いが募り葛藤している様子で、飲酒の希望はありませんでした。

それから2日後の夕食配膳時、「晩酌してみるかな」と笑顔がみられました。家族が近くにいないため、好きな銘柄のお酒やお気に入りのつまみなど本人の希望を聞き、看護師が買い物に行きました。景色をみながら飲みたいと希望され、個室であったため、窓際にベッドを移動させ環境を整えました。ワインの時は生ハムとチーズをつまみに、日本酒の時は鱈の乾物をつまみにし、ベッドの上にあぐらをかき、約3年ぶりのお酒をゆっくりと楽しんでいるようでした。「久しぶりに飲む酒はうまいな」と言った時の顔が忘れられません。なるべく一人にしないようにとベッド脇に置いてある車椅子に看護師が座ると、「小樽ワインは最高なんだ。喜久泉が飲みたいけどなかなか手に入らないんだよな。鱈はいっつも買ってるやつあるんだ。あんまりしょっぱくなくてうまいんだよ。」と家族のことを話すことはありませんでしたが、他愛のない会話をしました。コップ2杯ほど飲むと、「あんたたち忙しいべ?あとは一人でゆっくり飲むからいいよ。」と、自分が辛い状況でありながら最後まで私たちに配慮してくれました。なかなか手に入らない日本酒やつまみの希望があり、「あそこの酒屋、種類多いんじゃない?あっちのスーパー行ってみる?」とみんなで色々な酒屋やスーパーを探し歩いたりしました。

6日目の夜、「いろんな看護師が『足りない酒ないか?』とか『熱燗作るか?』とか気にしてくれる。みんな忙しいのに良くしてもらってありがたい。ゆっくり外をみながら飲んでたら死ぬの怖くなくなったじゃ。」とすっきりとした笑顔をみせてくれました。そして7日目の朝、穏やかな表情で静かに息を引き取りました。迎えに来た姉が、「電話でお酒を飲ませてもらってると本人から聞いていました。最後に飲ませてもらってありがとうございました。」とおっしゃっていました。

Aさんとの関わりを振り返って

Aんの死から2か月後、病棟でデスカンファを開きました。チーム、病棟全員が患者さんをより自宅に近い環境にしたいと考え、関わり、希望を叶えられたことが何より良かったのではないかという意見や、仲の良かった友人に最後連絡をしておらず、疎遠の家族だけでなく連絡すべきだったのではと悔やまれるという意見がでました。Aさんとの関わりで、私たちにできることは何かあるのだろうかと悩んだこともありました。仲間と共に悩み、考え、働きかけたことでAさんが最後までAさんらしく生きるというお手伝いが少しでもできたのではないかと思います。どんなに困難であってもその先に患者さんの笑顔が待っていると信じ、患者さんから学ばせてもらっていることを忘れず、看護師として、人間として成長していけるよう努力しなければならないと、Aさんが教えてくれたように思います。

患者さんの思いに添って協力しあえる仲間がいる職場で、そのみんなと一緒に看護師として仕事ができていることを誇りに思います。そしてAさんが天国で、お気に入り鱈の乾物をつまみに、大好きな喜久泉を飲みながら笑っていてくれることを願います。

※写真は看護実習風景から。本文とは直接、関係ありません。

連載 看護と介護 15の物語 ⑤

2017-03-08

後輩たちに伝えたい看護
~ 肺癌末期の患者様との外出で感じた終末期のありかた ~

健生病院(弘前市)・3階北病棟 山内 純子

早いものでこの病院に就職して四半世紀の月日が流れました。忙しい日常の業務に追われ、余り自分自身の成長もないままあっという間に日々が過ぎてしまったような気がします。自分でなりたくて選んだ看護師という職業ですが、やはり夢と現実のギャップは大きく、その狭間で悩んだことも多々ありました。自分は看護師に向いていないのではないかと思ったことも1度や2度ではありません。そんな私も先輩看護師をはじめとする病院スタッフの皆様や患者様、その家族の方々との出会いや別れのなかで様々なことを学び、支えられて今日まで働き続けることができました。

忘れられない患者様との出会い

その中でも忘れられない患者様との出会いがありました。それが肺癌末期と診断された60代男性のNさんでした。Nさんはもともと弘前の生まれですが、通年型の出稼ぎでずっと東京方面で働いており、もう何年も帰省していませんでした。結婚もしていたのですが離婚して一人暮らしをしており、体を壊して故郷の弘前に戻ってきたのです。当病院を受診した時には、すでに肺癌は進行しており、緩和ケアしか行えないような状況でした。Nさんも自分の病気の深刻さを察しており、最後を迎える場所として弘前に戻ってきたのかも知れません。幸い弘前にはNさんの姉が住んでおり、Nさんのキーパーソンになってくれ、見舞いにも度々来院してくれました。Nさんは自分の病状も余命も静かに受け止めていましたが、そんな彼がぽつりと言った一言があったのです。「弘前公園の桜が見たいなあ。」聞けば弘前公園の桜は大好きで、住んでいた頃はよく見に行っていたのに、このところは何年もずっと見ていないとのことでした。

それは寡黙なNさんが初めて漏らした願望でした。

Nさんの最後の望み 外出を目指して

Nさんの病状はかなり厳しいものでしたが、彼の最後の願いを何とか叶えたいと、主治医や看護スタッフで話し合い、外出を計画することにしたのです。病状の進行に伴う呼吸不全で、少し動くだけで呼吸苦や息切れが出現するため、酸素ボンベを持っての外出となりました。外出には担当看護師であった私ともう一人の看護師、そして姉が付き添うことになりました。最初は車椅子での外出予定でしたが、Nさんには長時間座位を取り続ける体力がなく、急遽リクライニングの車椅子に変更することになりました。リクライニングの車椅子でもやや苦しそうなNさんの表情を見て、私はこのまま外出することがNさんにとって本当に良いことなのか不安が募りました。それでも出かけたいというNさんの意思を尊重し、外出を強行することにしたのです。

外出でのNさんの様子

あいにく当日は小雨が降ったり止んだりで肌寒く、公園内の桜もあまり咲いてはいなかったのですが、Nさんはそれでも嬉しそうに公園の景色を眺めていました。公園内をぐるりと散歩しながら、Nさんと姉は思い出話に花をさかせていました。桜の咲いている場所で写真を撮ったのですが、Nさんは顔を覆っていたマスクや鼻カテを自ら外し、穏やかな表情で写真におさまっていました。わずか2時間ほどの外出でしたが、帰院してからNさんより「ありがとう。いい思い出になったよ。」と感謝の言葉を頂き、私にとっても忘れられない出来事となりました。

Nさんの最後を看取って感じた事

その外出から2週間も経たずにNさんは亡くなられましたが、本当に安らかな顔で旅立たれたのが印象的でした。Nさんの症状から外出前は、本当に外出して良いのか、Nさんの余命を縮めることになるのではないかと私も自分の中で葛藤しました。しかし帰院後のNさんの感謝の言葉や、その後の穏やかなNさんの最期は、私にひとつの答えを与えてくれた気がします。余命を1日でも引き延ばすことよりも、残された時間をどう生きるか、その中で何が出来るかを教えてもらった症例でした。

終末期のあり方~私たちに出来ることとは

日常業務の中でも、生と死に対する人間の尊厳という問題に度々ぶつかることがあります。特に終末期の患者様の場合、どのようにその人らしい最期を迎えてもらうかは難しい問題であり、私の中でもはっきりとした答えを出すことが出来ません。本人と家族の間でその考え方に温度差があったり、家族の中でも考え方が違って意見がぶつかり合うケースも珍しくはありません。日常業務に追われ忙しく働いている皆さんも、きっと同じような悩みを抱えたことがあるのではないでしょうか。患者様には個々に背負ってきたこれまでの人生があり、それによって余命に対する思いも様々です。そして患者様と同じように家族の方々も一緒に悩み、苦しみながら寄り添っています。どのように終末期を過ごしてもらうかは様々な思いや考え方があり、きっと正解はないのでしょう。

その中で私たちに何が出来るかを考えた時、無力感に苛まされることの方が多いような気がしてなりません。ただ患者様やご家族とその思いを共有し、少しでも後悔のない、満足感が得られるような終末期を過ごすことが出来るよう、私たちも微力ながらお手伝いできればと思っています。

※『看護と介護 15の物語』が冊子になります。乞うご期待!

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