母として、妻として… そして家族として

健生病院(弘前市)  高橋 栄子

看護師生活の振り返り

看護師になり、病院勤務、老人ホームや訪問看護を経験してきました。日々、患者様から学ぶことが多いと感じます。病気に苦しむ患者様をお世話する立場にいながら、逆に励まされることが多々あります。

患者様との出会いの日々

現在は病院勤務をしています。7年前、外科勤務をしている時、38歳の肺癌の女性の患者様との出会いがありました。彼女は保育士をしていましたが、長引く咳で最初は「風邪かな?」と思い受診をしたら、肺癌の末期と診断され、1年前に仕事を辞めていました。専業主婦になり、9歳・12歳・15歳の三人の娘さん、大柄の優しい旦那様と5人で暮らしていました。彼女は物静かですが、笑顔を絶やさず、温かい家庭を築いているという印象でした。

彼女は息苦しさが続き在宅酸素療法となり、外科外来に通院して化学療法を受けていました。後に自宅で身の置き所のないくらい呼吸苦が出現して入院となりました。胸腔内にドレーンを留置して、水を抜いてからは、呼吸苦が落ち着いてきたため、入院での化学療法を継続しました。週末には御家族の面会があり、にぎやかで笑いの絶えない家族団欒の一時を病室で過ごされていました。

会話がお互いの支え

彼女の長女は丁度、春に高校入学したばかりで、私の方もその頃長女の高校受験を控えていました。何気ない日常生活の会話が弾む場面もあり、受験生を抱える親の心得を気軽に聞ける間柄になっていました。彼女は子供の受験を経験した先輩として、私に高校の授業時間や授業料のこと、学校行事など何でも教えてくれました。話をしていると会話に夢中になり、ゼーゼーしてしまう場面もありました。

私は娘の受験前で気持ちが落ち着かないことを相談すると、彼女は「親があれこれ心配しなくても、子供はちゃんとやっているよ。」と、その痩せ細った身体でありながら力強い彼女の言葉にこちらが励まされました。

病状の転機

ある日、私が深夜勤務していると、彼女からのナースコールがありました。急いでかけつけると、彼女は全身性のけいれんを起こしていました。脳に腫瘍が転移しているため、けいれんを起こしたのです。すぐに処置室に移動し、主治医の指示で、けいれんを抑える点滴を開始しました。私は彼女の手をぎゅっと強く握りました。私は彼女の不安な気持ちを感じながらも「大丈夫だよ、そばにいるよ。」というのが精一杯でした。点滴して、けいれんは落ち着きました。看護スタッフで話し合い、翌日から2人部屋を家族で過ごす場所として提供することになりました。

願い叶えたい

彼女は病状がいくらか落ち着き、ガンマーナイフのため秋田の病院に行きました。治療が終わり、こちらの病院に再度転院してきた後は、体力が低下して長距離は歩けずにいましたが、「ラーメンが食べたい」と、希望されていました。

体調が良い日を見計らい、酸素ボンベ持参で家族と共にラーメン屋さんへ外出して、帰院した彼女は「いつも行くラーメン屋で、ラーメンを食べてきました。疲れたけど、楽しかった。」と話され、彼女に笑顔が戻りました。

小学5年の三女は体も成長して大きくなってきているのですが、まるで保育園児のように彼女の膝の上に乗り、くすぐりあったりしてじゃれあっている姿が印象的でした。私が「まだ小学生だし、甘えたいところだね。」と話すと、彼女は「お姉ちゃんにちゃんと妹たちのお世話するように話しているから…」と、近いうちに自分の人生が閉じること覚悟していると感じた瞬間でした。時々、彼女の御両親の面会があり、高齢の両親が娘の世話をする機会も作れたと思います。

冬休みになると、子供たちは彼女のベッドを真ん中にして川の字でベットサイドに横になり、旦那様も泊まり込み、彼女に付き添いました。

家族と過ごす時間

食欲が徐々になくなっていく彼女のリクエストで、旦那様がカップ焼きそばやバナナ、納豆巻きなどを差し入れしてくれました。面会の際は慣れない手つきで彼女の身体を拭いたりしてくれました。彼女が旦那様の服が裏返っていることに気付き息をゼーゼーしながら「服、服」と旦那様に話しかけます。 旦那様にお世話をされながらも、しっかり者の妻の一面もうかがえました。

彼女は「クリスマスは自宅に外出したい。」「年末は自宅に外泊したい。」と強く希望されていました。

そんな矢先、「胸がトクトクする。息が苦しい。」と訴えるようになり、モルヒネの持続注射が開始されました。彼女の願いを叶えたいとスタッフ間で在宅療養の方向で話し合いが始まりましたが、モルヒネは減量できず、「胸がトクトクするって言っています」という旦那様からのナースコールがあり、頻回にモルヒネの調整が必要でした。

主治医から旦那様にこれから起こりうることとして、病状的に化学療法は見合わせ、心臓や呼吸が苦しくて、今後はベッドから起き上がることはむずかしく、このまま病室で過ごすことになり、看取りの段階に入ったとお話がありました。

彼女は数日後には、声掛けにも閉眼がちとなっていきました。訪室した時に旦那様がずっと彼女の手足をさすりながら話しかけていました。旦那様は「子供たちには反応するんです。手握ってとか、足をさすってとか。急に起きて、子供たちを見てまた眠るんです。夫には反応しないのにね。子供たちの力って強いですね。こうやってそばにいることができて、本人も幸せだと思います。」それを聞いた看護スタッフは、必死で涙をこらえていました。スタッフ間でも本人の状態だけでなく、旦那様の疲れはどうか、子供たちのメンタルはどうかという情報を共有し、ケアにあたりました。お話を傾聴したり、個室を使って頂くことで最後までご家族の時間を大切にして頂きたい旨を看護長がお話ししました。

彼女は十二月下旬になり、経口摂取も難しくなり、寝たきりの状態となりました。家族でクリスマスを迎えた後、旦那様や子供たちが見守る中で、年末に静かに息を引き取りました。

私がちょうど日勤で出勤したタイミングでした。旦那様は私が出勤したのを見つけ、私の方にきて「今、家族そろって妻を見送ることができました。妻は日頃、高橋さんが一番話しやすかったと言っていました。」と泣きはらした顔で話されました。その言葉が一番心に残っていますし、看護師として少しでも役に立てたと思うと私の誇りです。

これから先、夫婦で子供の成長を見届けるはずだった彼女の無念を思うと心が痛みます。治癒の見込みのない重篤な病を罹った絶望感や悲しみは計り知れません。でも、病室にいながら家族と共に過ごした時間はかけがえのない時間を提供できたのではないかと思います。大切な人と共に限られた時をどう過ごすか、痛みや苦しみを和らげるために家族の愛や寄り添いはとても大切です。また、患者様を看取った後はデスカンファレンスなどをして、対応したスタッフの想いを話し合うなど医療者側のグリーフケアも必要です。

つながっていく思い

患者様は一人一人違った環境の中で暮らしています。家族・兄弟・友人のようにはいきませんが、できるだけ患者様に寄り添い、信頼関係をつくれるような看護をこれからも目指していきたいと思います。

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