在宅看取りを援助し、ご家族と一緒に学び得たもの
健生訪問看護ステーションたまち(弘前市) 看護師 木村 美香
在宅生活までの経過
Aさんは87歳男性。平成27年4月に食道癌の診断をうけ放射線治療を行っていた。一時は癌が縮小されるが半年後、経口摂取が困難となり癌の再発が発見される。同年冬、S状結腸憩室穿孔による腹膜炎を併発しストーマと腸瘻を造設する。その段階で予後は半年と宣告される。術後、リハビリ加療を続け、短距離であれば見守り独歩可能となるまで回復した。Aさんの強い希望にて平成28年3月に自宅に退院となった。退院後は往診を受け訪問看護とデイサービスを利用することとなった。担当セラピストからはAさんは疲労感が強いのでデイサービスは無理ではないか?という意見もあったがAさんは重度の認知症の妻と60歳の娘さんの3人暮らしであり、娘さん以外は2人を介護するのはいない状況であった。私は在宅介護の継続には娘さんの休息時間を確保することが一番大事だと考え、デイサービスの利用を勧めた。往診医の後押しもあり入浴以外は無理せず過ごすメニューで週1回利用することになった。娘さんも「そうしてもらえるとうれしいです」と笑顔で答え利用することとなった。
調整会議での娘さんの表情から不安と緊張が私にもひしひしと伝わってきていた。「最期を家で看るのは無理です。そのときは病院に入院させてください。」と、はっきり何度か訴えていた。「何かあったら一番にたまちに電話してくださいね。どんなささいなことでもかまいませんからね。24時間いつでも大丈夫ですからね。」私は娘さんの不安と緊張が解消されるように優しく語りかけた。そして5日後、Aさんの在宅生活がスタートした。
家族と共に過ごした時間
入院中はほとんど発語がなく表情も固い印象であったAさんも家での表情は穏やかで私たちにたくさんお話しをしてくださり、その変化にはじめは少し驚いた。娘さんは「家に帰ってきたら嬉しそうにしていますよ。いつもの父に戻った感じです。」そして娘さんは毎日トイレへの付き添い介助、経腸栄養の管理を続けていた。速度が速く落ちてしまって下痢をしたり、遅すぎて滴下が止まっていたりといった感じだった。その間、認知症の母のお世話もしていた。娘さんに「大丈夫?疲れていない?無理しなくていいんですよ。」と訪問のたびに声を掛けた。「たまちさんが来てくれるから安心しているの。だから大丈夫ですよ。私も父も訪問に来てくれる日がとても待ち遠しいのよ。」と笑顔を見せた。その会話を聞きながらAさんもうなずき微笑んでいた。
娘さんの決断
在宅での生活も5ヵ月を過ぎた8月上旬、胸部から腹部の疼痛、そして全身の倦怠感を訴えるようになり投薬治療をしていた。その間、娘さんはほとんど休息できず疲労もピークになっていた。Aさんは症状が改善されず疼痛コントロール目的にて再入院となった。9月上旬再び自宅へ退院された。しかしAさんは以前のような元気はなく、数日後からさらに状態は悪化した。体動のたびに疼痛があり、強い痛み止めが処方された。そのため傾眠がちでいることが多くなったが、うわ言のように「痛い、痛い」と娘さんの名前を呼び患部をさするとまた静かに眠り始めた。「こうすればいいんですね。やってみます。」と娘さんもAさんの体をさすっていた。しかし再び状態が悪化し、痛み止めの量もだいぶ増量となった。確実に最期の時は近づいていた。いよいよとなった時に往診は翌日でないと体制がとれない状況で、悩んだ娘さんは入院を希望した。しかしベットの依頼をしたが空床がなく当日の入院は困難で、外来のベットで待機してもらう選択しかなかった。外来のベットでは認知症の妻も同伴しなければいけなかった。私は訪問時間を延長し娘さんに状況を伝えた。娘さんはこの数ヶ月で見違えるくらいたくましくなっていた。そして説明にも冷静な態度であった。私は説明しながら、今までこんなに頑張って介護してきた娘さんなんだから、何かあってもこのまま家で看とれると判断をした。今後起こりうる呼吸や意識の変化など看取りについて理解できるように繰り返し説明をし支援した。「明日は先生も往診してくれるし、このまま家で頑張ってみませんか?何かあったらいつものようにたまちに電話してください。もしかすると見たときに息をしていないかもしれません。そんなときも慌てずにたまちですよ。」と話した。するとすぐに「外来にいるよりだったら家にいます。母も連れて行かなきゃならいので母もかわいそうですから。たまちさんがいるから安心です。」と娘さんは決断をくだした。そうしてこのまま自宅で経過を見守ることとなった。
最期のとき
翌朝たまちの電話が鳴った。Aさんの娘さんからだった。「息をしていないようです。脈もわからないんです。私がわからないだけかもしれないです。どうしたらいいんでしょう?」私は「今すぐ訪問しますから待っていてください。」と伝え訪問した。私は部屋に入り、ベットの横に立ちすくみ泣いている娘さんの背中をさすった。妻は状況が分からない様子で私を笑顔で迎え入れていた。いつも訪問すると妻は笑顔で大笑いしたり歌を歌ったりと場を和ませてくれる人であったが今日はその笑顔がなんだか悲しくもあり優しい時間が流れた気がした。
「日中はあんなに痛みを訴えていたのに昨夜から痛がらず静かに眠っていました。最期は苦しまず亡くなった感じです。」「そうですね。苦しまないでよかったです。今にも起きそうな眠っているような穏やかなお顔ですね。Aさんの希望通り家で最期を迎えられて本当に幸せだと思います。」
「私もそう思います。ありがとう。」Aさんは最期は苦しむことなく穏やかな表情で家族に看取られご自宅で永眠された。
娘さんからのメッセージ
3週間後、娘さんが私たちの事務所を訪れてくれた。少しやせた印象だったが、表情は明るく会話の中から自宅で介護し看取った達成感が感じられた。帰り際に1通のお手紙をいただいた。
手紙には、「父の生前中は皆さま方が自宅に来てくださるたびに、優しく明るい笑顔、温かいお言葉、丁寧な看護に父ばかりでなく私までもどれだけ救われたことか分かりません。おかげ様で父は本人の希望通り自宅で安らかに息を引き取ることができました。深夜でもお電話するとすぐに的確な指示を出してくださり、時にはすぐに駆け付けて様子を看ていただいたことは、いつまでも忘れません。これからも多くの患者さん、そしてご家族の支えになって下さいませ。最後になりましたが心から感謝申しあげます。ありがとうございました。」と便箋2枚にしたためられていた。
訪問看護で看取るということ
Aさんの衰弱が進むにつれ、娘さんの外出も間々ならず、夜間も眠れない日々が続く中で、肉体的、精神的にも負担は多々あったと思う。私たち訪問看護師が関わるのは24時間のうちほんの一部でしかない。
長い時間を共に過ごすご家族の介護が負担少なく、よりよいものになるために、不安に耳を傾け一緒に考えること、時には共感するだけでも、ご家族の精神的な支えになるのだと実感した。
ご家族が安心して介護ができるように関わっていくこと、寄り添うことが訪問看護師の役割であり、今後も主治医をはじめ在宅に関わる多職種と連携し患者さん、ご家族を支えていきたいと強く感じさせられた。
※写真は看護実習風景から。本文とは直接、関係ありません。